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Panda Wiki

2020/01/12 00:00


今日の最新のファッショントレンドに遅れずにのっていくことは、刺激的でもあって少し手間もかかります。しかし、イヤリングに関しては、そのファッショントレンドがほとんど変わっていないことを知って驚くかもしれません。

オッツィという名前の男性は、なんと5300年以上に氷に埋もれていたという、これまでに発見された最古のミイラです。そして彼の耳には、幅約1 cmの穴が開いており、トンネルピアスをしていた可能性が非常に高いのです。このトンネルピアスは今の時代、アメリカの地元のスターバックスで働いているような、流行に敏感な人が身に着けていそうなものとあまり変わりがありません

文明が明けて以来、イヤリングは人間性、美徳、そして私たちが個々に自分自身を表現する方法として重要な側面となっているようです。


出典:wikipedia



ここでは、イヤリングの歴史と、イヤリングを身につけることの文化的重要性が過去数千年間でどのように変化してきたのかを、簡単に見てみたいと思います

 

耳のピアスは、最も古い形態の身体装飾の1つで、BC2000年からBC1600年までのミノア文明で流行していたフープイヤリングによって、その物理的証拠を見つけることができます。言及されているイヤリングの最も初期の書面による記録の1つは、キリスト教の聖書にあります。出エジプト記の話では、アーロンという名前の男がイスラエル人に「妻、息子、娘が身に着けている金のイヤリングを外し、私のところに持ってきなさい」と命じている場面があります。この物語の起源は紀元前538年から332年までのものと言われており、歴史上この時点にはイヤリングの着用がすでに社会に定着していることが明らかです。


人類最初にイヤリングを着用した正確な時期とその理由は決してわからないかもしれませんが、それがどのように発生したかを想像して推測するのは楽しいものです。大昔、石器時代の人々は貝殻、もみや他の装飾品で自分自身を飾るようになりました。衣服に関しては必然的に出てきましたが、イヤリングは美的または象徴的な理由で最初に着用されました。古代では、身に着けているものはすべて、着用者にとってユニークな意味を持ちます。たとえば、今日でも多くの人々に愛用されているモチーフの、エジプトの「アンケクロス」は、生命と神の力を象徴しています。


歴史は、古代の富と権力の主に握っていたのは男性と軍事征服者であったことを示しています。ペルシャの男性が富の象徴として銀のイヤリングを着用するという考古学的証拠がいくつかあります(紀元前550330年)。東側の歴史とほぼ同時に、シッダールタグアタマという名の賢者が裕福な家庭に生まれました彼の力の象徴は、彼が身に着けていた多くのイヤリングをぶら下げた立派な耳たぶ耳朶環(じだかん)でした。彼は後に悟りを開き、彼のすべての物質的な所有物を取り去った後、仏教の創設者となります。今日、仏の多くの彫刻や絵画にこの大きく引き伸ばされた穴の開いている耳たぶが描かれているのは、富を拒絶しイヤリングをその耳から外したという自己犠牲の行為の象徴なのです。

古代エジプトの王族もイヤリングを身に着けていましたが、考古学者は主に子供たちが身に着けていたと示唆しています。古代の中東、ギリシャ、ローマでは、イヤリングはほぼ女性の装飾品とみなされ、男性がそれらを身に着けることは明らかに東洋的であると考えられていました。ローマでは、女性はジュエリーをあつめ、複数のジュエリーを着用することがよくありました。それは夫の富とは無関係に自分の財産と見なされ、ジュエリーを購入、売却、または物々交換する権利を持っていたため、女性にとって特に重要でした。


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しかし中世を通して、イヤリングを身に着けることは流行遅れとなりました。中世後期に西ヨーロッパの絵画にイヤリングが登場する場合、それらを身に着けている個人が規範から外れている、エキゾチック、もしくは東洋、アフリカに属している者であることを示しています。 16世紀、ヨーロッパの船乗りは、世界中を航海したり、赤道を横切ったりしたシンボルとして金のイヤリングを身に着けていました。難破船の生存者は左の耳たぶにイヤリングを着用していました。また運悪く死体が岸へと流されてしまったとき、イヤリングは埋葬の代金を支払うための生命保険としても使用されました。

ルネサンス時代の女性からは、さまざまな形の大きな真珠の着用が非常に好まれました。パールをはじめとする石の治療特性に関する一般的な信念は16世紀に定着しました。真珠はストレスや心臓病を取り除くと信じられており、赤珊瑚は痛みや心痛を和らげ、元気を取り戻す効果を期待し使用されていました。トパーズは精神疾患を治し、愛の成就としても使用されました。


ヨーロッパ人とのイヤリングの人気は、次の300年間を通じて浮き沈みしました。 19世紀には、耳を覆う大きなボンネットとビクトリア朝のモラルが人気の低下へとつながりました。 20世紀初頭、耳に穴を開けることは不適切だと考えられていました。 1950年代後半までに再び登場し始め、「ピアスパーティー」をする10代の少女たちが世界の西部知られるようになりました。 1960年代後半、耳のピアスがヒッピーやゲイのコミュニティに登場し始めました。伝統的に、右側のピアスは、LGBTの「文化とコード」の一部として同性愛者である男性を特定し、コミュニティに対して自分自身を密かに表現していました。左側のピアスは、ストレート(LGBTでない者)として広く受け入れられています。


映画、「Greese」(1978)は、イヤリングの着用がタブーとされてきたものを、「いけてる女の子がするもの」という視点へと変化するように働きかけたと言えます。耳たぶのピアス穴の拡張は、何千年もの間先住民の文化の中で一般的でしたが、1990年代にわたしたちの中にも出現し始めたのです。


日本においてはそれよりも早くBC6500年頃の縄文時代早期からイヤリングが着用されていたと言われています。しかし、飛鳥時代を最後に、明治時代まで日本本土ではイヤリングは姿を消してしまいました。身分による衣服の違いが明確化したため、イヤリングなどの装飾品で身分を示す必要性が無くなった、あるいは「身体髪皮膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。」という儒教の孝経の影響だともいわれています。

それ以来ピアスが主流となってきたのは戦後。そして1946年に外国人向けの宝飾店としてオープンした「スタージュエリー」が、日本で初めてイヤリングを本格的に取り扱っているお店として知られるようになりました。バブル景気が始まった1986年からは豪華なイヤリングがたくさん売られるようになりました。今の時代ZARAでよく見かけるような大振りで派手なイヤリングが流行ったようです。その見た目のわりに、金の割合も少なく安価であったことから女性の間で大人気となりました。


近年では、ファー素材やラインストーン、レジン、アクリル、ステンレスなど非常に多くの素材でイヤリングを気軽に楽しめるようになりました。バブル景気時代にくらべると、日本ではより繊細で控えめなモチーフのイヤリングも好まれるようになりました。


流行は繰り返すといわれますが、イヤリングのトレンドも、その用途や素材を変えながら何度も登場してきているんですね。今から1000年後には一体、イヤリングはどんな変化を遂げているのでしょうか🚀


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